2010年8月掲載分
デイビットさんから「散歩に行こー」と声を掛けられた。
どうせ行くなら、今まで行った事のなかった場所にしようと言う事で「後ろ谷津」から「四十八曲がり」に抜ける沢を遡上することにした。
「後ろ谷津」は、江戸時代には近くの山から石灰を切り出し、入り口で消石灰に加工して江戸に運び出していたそうで、地元ではこの辺一帯を「灰場」(あくば)と呼んでおり、入っている林道は「灰場入り林道」の名前が付いている。
林道に入ると、道路脇は雑草がなぎ倒され、猪の掘り起こし跡がいたるところに有り、なんとなくスッキリと感じられるほどだ。
変電所への舗装道路を分け、しばらく進んだ橋の袂から右に入る沢が「きみ窪谷津」と言われる小沢で、何年か前伐採の為にブルトーザーだけで作った簡易の林道が残っている。
今回この林道と沢を詰めて尾根筋の山道に出るコースを登る事にした。
看板を過ぎ、しばらく行った右に入る小沢で林道と分かれた。
この小沢は私が中学生の頃、尾根から降りて来た事を記憶しているが、10数年前起きた春の大雪で木が倒れ、沢筋は倒木で埋め尽くされてしまい、当時の面影はまったくない。
よく見ると、新しい倒木が目立つので、雪が降るたびに被害があるのかもしれない。
この状況は、異常気象がもたらしたと言うより、戦後、針葉樹の植林事業を強引に推し進め、高度成長期には手のひらを返した様に、農林業への支援を打ち切ってしまった、国の政策が最大の原因だと思う。
尾根に取り付く手前、倒木の下に、沢を渉る為の石積みの痕跡を見つけた。
水の多い時足を濡らさない様に作った物だろうが、これを作った人は、こんな荒れ山を想像しただろうか…
倒木をくぐったり超えたり、悪戦苦闘を繰り返すこと約1時間。
ようやく四十八曲がりから変電所に続く尾根道に出た。
尾根道に出ると、吹き上げてくる風が爽やかだ。
四十八曲がりの峠から細田に続く尾根道は、その昔雑木に覆われていたが、今は杉・檜の林に変わってしまい、回りの景色はまったく見えない。
しかしこんな暑い日に歩くには打って付けの場所だ。
お散歩マーケットで整備された尾根道をたどり、家に着くと開口一番「暑いー!」と言う言葉が出た。
全行程約3時間半、今回は散歩と言うより探検と言った感じだったが、久々に良い汗を掻いた。
2010.08.29 榎本
誰と会っても「暑いねー」… 同じ挨拶ばかりでうんざりです。
このままだと「彼岸」まで涼しさはお預けですかね。
上分の沢筋は、ほとんどがコンクリートブロックに囲まれ源流の風情はほとんど感じられません。
それでも、良く見ると源流の面影を残した手付かずの場所を見つける事ができます。
自治会館の近く、鉄製の階段で川床に下り、くもの巣を払いながら沢を遡上する事100m、小滝が現われます。
うっそうとした藪(やぶ)に覆われ、道路からは見えません。
小滝下の小さな渕、木漏れ日に輝く水面を見ているだけで猛暑を忘れる事が出来ます。
2010.08.25 eno
1週間ぐらい前から、上分に住み着いた「カモの雛」親鳥が見えないが、果たして何処から来たのやら?
初めて確認したのはバス停近くの渕。二羽で寄り添いながら餌をついばんでいたが、その後200mぐらい上流の「さわのした」の堰で仲良く泳ぐ姿を見るようになった。
バス停近くの渕にある石をねぐらにしているらしく、早朝「さわのした」の堰まで川を上り、夕方バス停の渕まで戻っている様だ。
ねぐらに戻る姿を確認する為、川沿いの舗装道路から後を付けたが、ヨチヨチ歩きと思いきやビックリする程の速さで、追いかける私も何時しか早足で歩く程だった。
何かに襲われてしまったのか、昨日から1羽しか確認できなくなってしまった。
どうか無事で、2羽で泳ぐ可愛い姿を再び見せてほしいものです。
2010.08.14 eno
今、話題のスカイツリー、すでに400mを超えたそうですが、何時もスモックに覆われ、なかなかその姿をカメラに収めることが出来ません。
三上さんから「今日は見えるよ!」と電話があり、夕方細田の一番上の畑まで登り撮った写真です。
お昼ごろはもっとはっきり見えたそうですが、ぼんやりと見えるような気がする程度で、場所が分かっているので何とか確認出来た感じです。
このスカイツリー、何故細田から見えないのだろうと不思議に思っていました。
「新宿副都心のビルが邪魔をしているのか」などとも考えましたが、先日「大谷津」の2階から左の方に見えるという話を聞き、一番上の畑まで登り確認すると池袋サンシャインの左側に見える事が分かりました。
集落からは、東側の杉林に隠れて見えなかったわけです。
お盆には空が澄んでハッキリと見えるかもしれません。その時には又掲載します。
えの
4年ほど前、飯能市が進める「山間地振興計画」の一番目の事業として「お散歩マーケット」ハイキングコースの景観間伐を行いました。
おかげで、杉・檜に覆われ、榊や樫の木などの照葉樹だけが生えていたその場所が、すっかり明るくなり遠く東京が望めるようになりました。
1年半後、ほとんど草も無かったその場所が突然洋種山牛蒡に覆い尽くされてしまい、(2008年7月HP参照)その生命力には「さすが帰化植物!」と驚くばかりでした。
それから2年、あれだけびっしりと繁茂していた洋種山牛蒡、今年はほとんど見ることが出来ません。
変わりに、名前は分かりませんが写真のような木が取って代わって生えてきました。
と言うことは、また何年かするとこの木より強い木が現われ、入れ替わってしまうのか。
こんな色々な植物の種が前からあったとは思えないし、2種類とも鳥が運んできたのでしょうか…
次の展開に、皆さんもチョット興味が湧いてきませんか。
それでは「次はどんな木が生えてくるのか、乞うご期待!」。
2010.08.02 eno