2014年02月掲載分
1回目は、2月4日(火)夕方から5日の朝にかけて降った雪で、今年初めての雪景色でした。
天気図から朝は確実に晴れると予想して、前日長靴を新調、朝日に輝く黒指を写真に収めようと準備万端で就寝。
日の出直後の斜光線を狙って黒指「穴の作」に登ってみると、雪をまとった山が赤く染まり「モルゲンロート」状態です。 photo:2014.02.05
一通り撮影後、今度は南側の山に登り直して、黒指上方を撮影。
いったん家に戻り朝飯を食べ、2時間後同じ場所に再び登って撮影したが、雪の景色は刻々と変化し、時間の経過を忘れるほどでした。
早朝の写真は、右上の雪の草原状の場所から撮影したものです。
2回目は、2月8日(土)朝から夜にかけての大雪です。 今回の雪は異常でした。
道路上に木が倒れ、何日も通行止めになったり、何週か続いた雪が融けず膝上まで積もった記憶はありますが、1日でこれだけの積雪は、60年以上経験の無い事だと思います。
そんな訳で、9日(日)早朝には黒指で50cm、細田で60cm以上の積雪でした。
もう少しで車が見えなくなるところでした。 photo:2014.02.09
バス停以降は50cmを超える積雪の為、全面通行不能となってしまったが、二日目の10日(月)午後、大和建設のホイルローダーが除雪に来てくれたので、やっと黒指までは車の通行が可能になりました。
photo:2014.02.10
細田地区は、懸命の除雪作業の結果、三日目の11日(火)午後になってようやく開通しました。 photo:2014.02.11
大和建設さんご苦労様でした。
なお、当地まで運休していたバスは、除雪拡幅により五日目の13日(木)から運行とのことです。
2014.02.12 eno
青梅線の廃線・・・ 「それって大変じゃない!」 なんて思われるかもしれませんが、JRの電車ではなく、東京電力の高圧送電線の話です。
この「青梅線」現在も重要な送電線ですが、50万V送電を行なう「新所沢線」と平行して設置されている部分に付いては役目が終わったと言う事で、昨年末電線の取り外し工事が行われました。
工事は、電線を碍子から外し、支えとなるワイヤーを使って電線を巻き取り、最後は釣り糸ぐらいの細いひもにして、終端にバルーン(風船)を付け、電線下に影響が無い様に巻き取ると言う工法で行われましたが、最後の風船を飛ばす作業を確認できず残念でした。
電線と碍子(がいし)が外された鉄塔。 何かさっぱりしています。
「青梅線」の鉄塔。 奥に向かって西多摩変電所側。
ここから先は、かなりマニアックな話です。
従って時間に余裕があり、しかも電気に興味のある方だけ、お読みください。
上直竹地区を通過する東京電力の高圧送電線は「奥秩父線」と「青梅線」そして「新所沢線」があります。
まず「新所沢線」ですが、首都圏の電気を賄う為の主力環状線で、新所沢変電所(鶴ヶ島市)から新飯能変電所(飯能市上直竹下分)を経由し、上分の細田地区を通って、新多摩変電所(八王子市)を結んでおり、1979年(昭和54年)に完成し、送電電圧は500kV(50万V)です。
一方「奥秩父線」は、当初「黒部幹線」として1927年(昭和2年)に建設され、富山県黒部市(旧・宇奈月町)の愛本変電所から、佐久→秩父→飯能(山王峠)→青梅・豊岡(入間市)などを経由して、横浜市鶴見区の京南変電所まで343Kmに及ぶ長大な送電線として、信越地方の電力を多摩地区や京浜方面に送る重要な役目を担っていました。
戦後、所有する電力会社が分割されたり、政治や経済情勢に伴うルート変更が度々行われた結果、今日往時の形態をとどめているのは「奥秩父線」の僅かな区間だけとなってしまいました。
次に「青梅線」ですが、関係するルートの度重なる変更の結果として生まれた新しい送電線です。
前身は、只見川の田子倉発電所(福島県)の電力を東京多摩地区に送電する為に、1949年(昭和24年)日本発送電が着工し、その後東京電力により1958年(昭和33年)竣工した「西東京幹線」で、田子倉発電所→西毛変電所(群馬県藤岡市)→坂戸市→山王峠(飯能市上直竹下分)→上分→青梅市→八王子市→西東京変電所(東京都町田市)を結んでいました。
この送電線の通過により、上分地区に始めて高圧送電線が建設されました。
「黒部幹線」と「西東京幹線」は山王峠でクロスしましたが、「黒部幹線」は154kV、「西東京幹線」は275kVと鉄塔の高さが違っていたので「黒部幹線」の上を「西東京幹線」が跨(また)ぐ形で建設されました。
その後、電力需要の増大に伴い、「西東京幹線」は起点を中東京変電所(坂戸市)と新多摩変電所(八王子市)に変更し「多中線」と名前が変更されました。
さらに、青梅変電所周辺の工業団地の電力需要を賄う為、新多摩変電所からの電気を青梅変電所送る為に「黒部幹線」と「多中線」のクロス点である山王峠に新たな共用鉄塔を建設して二つの路線を入れ替えるという工事が1989年(平成元年)に行なわれました。
この工事は、「黒部幹線」と「多中線」を共用鉄塔上で切断し、電気の流れを共用鉄塔でそれぞれ直角に曲げる作業でしたが、「旧黒部幹線」は154kV用小型鉄塔だった事から、共用鉄塔から青梅変電所までの間を275kV用大型鉄塔に立替えると共に電線も1導体電線(1本の線)から2導体電線(並行なった線)に張替工事を行い、八王子の新多摩変電所→山王峠→青梅変電所間を「青梅線」と名称変更を行い、切断したもう一方の「黒部幹線」と「多中線」を接続し、秩父変電所→山王峠→中東京変電所間を「奥秩父線」と名称変更して、それぞれ運用を開始しました。
この工事により、歴史ある「黒部幹線」は完全に分断された事になります。
その後「奥秩父線」の「旧多中線」部分は送電電圧と電流が下がったと言う事で、碍子の変更と電線を2導体電線から1導体電線に張替えた様です。
山王峠近くにある共用鉄塔。
上3段が「青梅線275kV(2導体電線)」。下3段が「奥秩父線154kV(1導体電線)」。
電線の向きは、左(西)から奥秩父変電所からの「奥秩父線」で、奥(北)に向きを変え中東京変電所に向かう。
「青梅線」は、新飯能変電所の接続鉄塔からの線が、後ろ側(南)から入り、右(東)に向きを変え青梅変電所に送られて行く。
鉄塔の基部を見ると、中心に古いコンクリートの台座があるので、もしかすると「西東京幹線」の建設と同時に共用鉄塔を建設し運用していたのかも知れません。
「青梅線」への安定供給と「新所沢線」の電圧安定化などを目的として、新飯能変電所が1999年(平成11年)開設され、「「新所沢線」の500kVを新飯能変電所で275kVに落とし「青梅線」への接続工事が行われました。
山王峠付近の、「新所沢線」から新飯能変電所への引き込み線。
途中2基の鉄塔を経由して変電所に導いている。
一番奥の鉄塔は変電所の通信鉄塔。
写真では見えないが「奥秩父線」は左側遥か下を通過している。
新飯能変電所の全景。
配線は全て地下で行なわれている。
左(北)から500kVが入り275kVに落として、右側(南)の鉄塔で「青梅線」に接続されている。
この鉄塔は「青梅線」との接続用に設置されたもので、一方は新東京変電所に向かい、もう一方は中央の鉄塔から左に回り込み、その先にある共用鉄塔を経由し青梅変電所に送られる(いた)。
また、この変電所は、下流への送電だけでなく「新所沢線」の電圧を安定させる為の同期調相機(200MVA)が設置されていて、かなり重要な施設なのですが、最近、遠隔操作で運営されている模様です。 中央の高い鉄塔は通信用。
「青梅線」の接続鉄塔。
今回の工事でここから新多摩変電所までの電線が外された。
原市場から見た、山王峠の共用鉄塔。
手前の小さい3基の鉄塔は「奥秩父線」で、共用鉄塔で、北東に向きを変え中東京変電所に向かう。
写真上部に写っている電線は「新所沢線(4導体電線)」。
この「秩父線」は「旧黒部幹線」(1導体電線と碍子)の往時の面影を残す貴重な鉄塔と言える。
新飯能変電所東側にある「東都カントリークラブ」付近からみた東吾野の山並み。
山王峠の共用鉄塔から北上し「旧多中線」に入った「奥秩父線」は、名栗街道と名栗川を渡って東吾野の山を東に向かい、坂戸の中東京変電所へ。
写真を左右に横切る大きな鉄塔の送電線は「新所沢線」。
二つの鉄塔の大きさの違いが良く分かる。
「青梅線」は一つの送電経路に複数の変電所から送電を行う極めて稀な送電線でしたが、「青梅線」が275kVで送電されているのに、平行する「新所沢線」が500kVの幹線だと言う
ことから、平行部分の「青梅線」は無駄と判断され、今回、新飯能変電所の接続用鉄塔から八王子の新多摩変電所までの「旧多中線」部分の電線の取り外し工事が行われた訳です。
どうでした?
日常生活には殆ど必要の無い話だったと思いますが、博学多才な貴方・・・ 知識の一つとして是非頭の片隅に記憶しておいて下さい。
2014.02.01 eno
参考リンク :
新飯能変電所付近 塔マップ
送電線・変電所名などの Google Earth File